ひろしです。
香港では中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正をめぐって大規模なデモが発生しています。ひろしも香港人自体は昔仕事で散々な目に遭わされたので個人的には余り良い印象を持っていないのですが最近できた写真の友人とカメラ屋さんで買い物をしたり、写真を撮ったりと大陸側では味わえない自由な雰囲気は大好きです。
さてこのデモの件、香港の人にしてみれば死活問題で権利を守るために必死で活動されておられるのは当然の事で、おそらく日本でもいろいろ報道されている事と思います。まあひろしもそれなりに意見はあるのですが恐らく皆様とあまり変わりますまい。。
そこで大陸の普通の方が今回のデモにどんな感想を抱いているのか、広東省に住んでいるひろしの知り合いにそれとなく聞いてみた雰囲気をお伝えしてみましょう。正直大陸側では余り関心が無いように思えます。。話が聞けた人は多く無いので世間話と思って頂ければ幸いです。
その前にこういう事が発生する以前のひろしが見聞きした一般の中国の方の香港への印象とそこに至る経緯をまとめてみました。ひろしの主観も入っています。細かい所に差異はあると思いますが雰囲気という事で大目に見て頂ければ幸いです。
2003年から2010年頃の状況
当時香港は大陸側と比べ給与が恐らく一般の会社員や工員で平均で3-5倍は高かった。課長以上の管理職の給与では10-20倍の差があったと思う。香港ドルと人民元のレートも80:100程で100香港ドルを人民元に交換すると120人民元前後になった。香港のすぐ隣に在る深セン市のレストランなどでは香港ドルを歓迎しメニューの値段は香港ドル表記になっており人民元で払おうとすると1.2倍余計に払わなければならなかった。
当時、来料加工制度(らいりょうかこう)と言う香港に本社を登記し、大陸側に工場を建てると無税で材料を買うことができ、無税で製品を輸出する優遇措置が採られていた。これは返還後間もない香港の経済を保証するための一種の措置であった。必ず材料や製品は香港を経由するため輸送やその他で香港は潤っていた。これは中国政府の香港に対する優遇措置であった。
そのため大陸の安い人件費を目的とする香港、台湾、日本、韓国、アメリカ、ヨーロッパなどの国々は競ってこの制度を利用し香港に本社を備え大陸に工場を建設した。
香港に会社を設立する事は非常に簡単であるがどの会社も必ず香港人を採用しなければならなかった。これは香港人の雇用を守る措置でもある。また香港人は香港人同士としか仕事の話をしないため、例え日本人の社長が相手の会社に行っても話を聞いて貰えず必ず香港人の部下を帯同する必要があった。これには当時相当の不満が日本人にも内心有ったであろう。通訳として帯同した香港人同士が勝手に話を進めブチ切れていた日本人を何人も知っている。
大陸側には香港人が社長である工場が非常に多く、また管理職は殆どが香港人であった。ひろしが見るに香港人の大陸側を見る目はかなり差別的であり、また当時の大陸人もそれを止むを得なしとする風潮があった。
またこの当時、香港に隣接する深セン市では香港に比べ物価は二分の一、更に工場が多い奥の田舎の市では香港の四分の一程度であった。女性読者もいらっしゃるかもしれないので多くは語らないがこれは一夜の情事のお値段を基準にしている。
この価格と給与の違いがどういう結果を生んだかと言うと、仕事で大陸側に常駐している香港人男性はもれなく愛人を囲い、一般の仕事をしている香港人男性さえも大陸の田舎にアパートを借りて愛人を囲い週末を大陸側で過ごす事が多く発生した。
当時街のあちこちに香港人、台湾人の愛人が多く住む愛人街があったものだ。香港側では週末になると旦那様連中が大挙して大陸の愛人に会いに行くので大陸側で愛人を取り締まるよう奥様連中がデモをしたことさえあった。
まだ大陸側では車を買う事は非常に贅沢であった。一方香港人は社用車や自家用車に香港と大陸の両方のナンバーを付けて乗り回していた。(これをダブルナンバーと言う)人を人と思わずクラクションで追い立てながら運転するその様はひろしから見ても顔をしかめるマナーの悪さであった。もっともこれは大陸側で車を持っている大陸人も同様であったが。。
この頃の深セン付近で働く大陸人の香港人に対する印象はまとめるとこんな感じであったと思う。
「香港人?彼らは中国人じゃあ無いからね。大学も出てるし学もある。おまけに金も持っている。顔は中国人みたいだけど言葉も良く分からないし考え方も違う。人種が違うんだよ。そりゃ腹も立つこともあるけど会社や工場のボスだし、しょうがないんじゃないか。。」
続く。